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2012年初夏の掲示板

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 Re: 「先生方」と「技術職員の方々」
 2012/07/23 11:48
塩見真一
その後あれこれ考えているんですが、どうもうまい解釈が見つからなくて、「先生方」が複数を表わしていると考えることのほうが何か違うんじゃないかと思い始めました。

つまり、日本語には複数を表わす言葉は無い。というよりそもそも単数と複数を区別する発想が無い。とすると、「先生方」が「先生」に対して複数の意味になるのはあくまで表面的な現象であって、言葉の本質としては何か別のことを表わしているのではないだろうか、「先生方」の本質は何だろうか……ということです。

答えはまだ出ていませんが、なんつーか、やれやれまた英語文法の呪縛だったかと、そういう気もしますですね。

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 Re: 「先生方」と「技術職員の方々」
 2012/07/02 09:18
塩見真一
「あなたがた」といえば「あなたたち」という言葉もあるなと思い当たって、人称代名詞を並べてみたら、いやなんとも面白い結果になりました。

   ○あなたがた  ○あなたたち  ×あなたら
   ×君がた    ○君たち    ○君ら
   ×おまえがた  ○おまえたち  ○おまえら
   ×貴様がた   ○貴様たち   ○貴様ら
   ×汝がた    ×汝たち    ○汝ら

「君」「おまえ」「貴様」は、本来の用法はともかく、現代の日本語では敬意をほとんど含んでいません。「あなたがた」がアリで「君がた」「おまえがた」「貴様がた」がナシだというのは、「〜〜方」が敬意に結びつくことをはっきり示している、と言っていいですよねこれは。

て、謎が解けたような気が一瞬したんですが、そうじゃない、「先生方」が複数の先生を意味することが不思議なのでした。
さて、はて。

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 「先生方」と「技術職員の方々」
 2012/06/30 09:33
塩見真一
>と小林先生に詰め寄ったお母さんがたには

と、この「お母さんがた」は「先生方」と同じく、複数を表わしています、よね。
「技術職員の方々」が複数なのは字面からして当然自明だけれど、「先生方」が複数の意味になるのが不思議なんだよなと思ってしばらく考えていたところへひょこっと「お母さんがた」が出てきたので、さらに、「〜〜方」が複数を表わしている言葉を探してみました。

○先生方 ×教師方 ×教授方 ×議員方 ×技術職員方
○お母さんがた ×母親方
○お嬢さんがた ?ご令嬢がた ?娘さんがた
○皇族方
○お客様がた ?お客さんがた
○あなたがた

んーむ、「教師方」や「母親方」が成り立たないのは、「方」が敬意を含んでいるため「教師」や「母親」といった敬意を含まない言葉とかみ合わない、ということかもしれません。「お客さんがた」に疑問符がつくのも、「お客様」より格段に敬意が薄いからだと言えるかもしれません。
つまり「技術職員」も敬意は含まないから「技術職員方」は成り立たない、ということなのかもしれません。

や、まだなんかちょっとひっかかってる、なんかいまいち納得できていないのですが、むー。

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 Re: 「原子炉と放射性物質〜事故と復興」
 2012/06/30 09:30
塩見真一
最後、秋鹿先生の授業から。
「プルトニウムは重いからあまり広がらないが、セシウムは軽いから遠くまで飛散する」という風説について。風説というか、新聞の科学解説みたいなページにもそういうことが書かれていたんですが、化学者としては(chemistとしては、と先生は仰いましたが)なんともしょーもない、ええい世間の理解はこんな程度かと、そう言いたくなる話なんですな。
原子量で言えばたしかにプルトニウムはセシウムより重い、しかしセシウムだって窒素や酸素など気体分子に比べれば十分重いし、そもそも原子核の重さを比べたってしかたない、いま気体分子と言ったように、それぞれの原子がどういう状態で存在しているかその状態でどういう性質を持つか、それを考えなきゃいけない。プルトニウムは金属態で細かい粒子になる一方、セシウムはイオンになって水に溶け込む、飛散範囲の違いはそれで理解できるし、雨に溶けて降ってきたセシウムがどういうところに溜まりやすいかだってこんなにあれこれ列挙しなくたって理解できる。どうも世の中、本質の理解ということをないがしろにする傾向があっていけません……と、秋鹿先生は仰るのですがねえ。
それがいいか悪いかなんて言ってもしかたない、世の人々が本質の理解よりも現象の知識を求めるのなら現象の知識を提供するのが正しい……という考えが元編集者の頭には浮かぶのですよ。

もちろん、どっちが正しいとは言えない性質の問題だとは思うんですが、じゃなくて、元編集者と言いながらこの考えは現役と同じだよなと、元ならもうちょっとなにか元らしい考えかたができてもいいんじゃないのかなと、そんな気がしたのでした。

秋鹿先生の授業は2回目を聞き逃してしまって、前にも言ったとおり三沢行きの飛行機に乗ってしまったのですが、2回目に取り上げられたはずのトリウム原子炉の話は聞いておきたかったなと思います。
トリウム232に中性子を当てるとウラン233に変わるので核燃料として使える、かつ、プルトニウムが作られないので使用済み核燃料を核兵器に転用される心配がない、今後の選択肢として有望……という話は2年前だったかの面接授業でちらっと聞いていたのですが、しかし事故で放射性物質が撒き散らされる心配があることや使用済み核燃料の後始末が事実上できないことは同じだろうし、だったら同じだと、ウラン原子炉と同じく人類が手を出すべきじゃなかろうと私は考えます。そのあたり、詳しくお聞きするチャンスだったのですが。

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 Re: 「原子炉と放射性物質〜事故と復興」
 2012/06/28 09:25
塩見真一
小林先生の授業から得たことをいくつか、……とやってるとバックログが溜まっていく一方なのでひとつだけ。
授業の主題とはほとんど関係ないんですが、私としては「[わからない]の意味」、が一番印象に残っています。
つまり、たとえば10フタバとか2フクシマとか(0.4μSv/hとか0.7mSv/年とか)いった低線量被曝による健康被害は「わからない」。私はそれで納得してそりゃたしかにわからないよなと思うのだけど、世間には納得しない人がかなりいる。「わからない」と言うと、わからない人の話を聞いても無駄だ、わからないくせに偉そうな顔をするな、ちゃんとわかる専門家を出せ、ということになるんだそうです。

や、そんなアホなとは思うんですがね、いくら字面が同じでも「それはわからない」と「私にはわからない」と、話の流れで区別できますよね。けれども小林先生が地元の幼稚園や旧世田谷学習センターで開いた講演会での聴衆の反応はそうだったそうです。
だから「わからない」ではなく「区別できない」、全部言うなら「低線量被曝による健康被害は喫煙や運動不足や痩せすぎや精神的ストレスによる健康被害と区別できない」、と言うべきなんだと小林先生は仰っていましたが、さあてねえ。

私が思うには、世の中には自分の聞きたいことしか聞き入れない人がけっこういるもので、そういう人たちは「区別がつかない」と言ってもやはり納得しないんじゃあ、ありませんかね。がれき受け入れに対する不合理に激烈な反発は、そういう心理だとしか考えられないですよ。
まあ、ああいう人はごく一握りだろうし反対運動のために血圧上がってもかまわないんでしょうが、世間普通の人にとって、低線量被曝と精神的ストレスが同じように健康を損なうことはかなりに厄介な問題です。つまりことによると、というか現状ほとんどの場合は、放射線そのものよりも放射線を心配することのほうが危険になりかねない。
とすると、たとえば「ウチの子は3.11以来ひんぱんに鼻血を出すが放射線のせいじゃないだろうか」と小林先生に詰め寄ったお母さんがたには、うんうんきっとそうですよ放射線のせいでしょうねと言ってブドウ糖製剤でも渡しておくのが、科学的には間違っているけど医療としては正しい対応なのかもしれないなと、そんなことを思ったのでした。

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 Re: 「原子炉と放射性物質〜事故と復興」
 2012/06/27 10:24
塩見真一
藤井先生の授業、とは言えないんだけどもうひとつ。放射線はほんとうに理解されていないのだなあということ。

1回目の授業で学生から出た質問なんですが……
「半減期を短くすることはできないのか」
「半減期が28年ということは、28年経つとβ線が出るということなのか」
「半減期というのは、半分になったら安全ということなのか」
「ではなぜ半減期ということが言われるのか」
……やー、最初のはあってもいい質問だと思ったけど、2番目のは、そんな誤解があるのかとちょっと驚きましたよ。

つまりは、4番目のもたぶんそうだけど、放射性物質が放射線を出す様子がイメージできていないのですな。陽子と中性子が寄り集まってぐらぐらふらふらしている塊がふとした拍子に何かをぷいっと吐き出すと、そんなようなイメージがあれば、放射壊変がランダムに起こるということも線量がだんだん減っていくことも、減りの速さを半減期で表すことも、べつだん難しい理屈なしで納得できるのに。

まあ、理解のしかた納得のしかたは人それぞれですが、まずそういうイメージを描いてみせると、動画にできますよね、わかりやすいんじゃないかと思ったのでした。

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 Re: 「原子炉と放射性物質〜事故と復興」
 2012/06/22 08:57
塩見真一
藤井先生の授業からもうひとつ。使用済み核燃料の再利用は進めたほうがいいということ。
なぜかというと、使用済み核燃料には半減期の短い核種ととてつもなく長い核種が混じっている、プルトニウム、アメリシウム、キュリウムなど原子量の大きい核分裂生成物は半減期が長く数万年以上にわたって放射線を出し続ける一方で、セシウム、バリウム、ストロンチウムなど原子量の小さい放射性物質は半減期がずっと短く、1000年くらいのうちに放射線をほとんど出し尽くして無害になる。ということは、これらが混ざったまま数万年保管するのは無駄。分離すれば、半減期の短いほうは1000年スケールの保管施設で処分できるし、半減期の長いほうはもう一度ウランと混ぜて原子炉に放り込めば核反応によって半減期の短い物質に変わってくれる。
つまり、核燃料サイクルを推進することで将来に負の遺産を残す期間を、大幅に短縮できる。

まあねえ、たしかに大幅な短縮ではあるけど、数万年が1000年になったところでとんでもない長期間には変わりない。1000年前というと、ええと、平安時代、王朝物語の時代ですかね。それから何度も何度も世の中がごっそりひっくりかえるような変化が起こってきたことを考えると、これから先1000年、いったい誰が責任持って使用済み核燃料を保管しておけるというのか、限りなく疑わしいとしか言いようがありません。

いやほんと、原子力発電をはじめた人々は使用済み核燃料をいったいぜんたいどうするつもりだったのか、小一時間いや一世紀ほど問い詰めなきゃいかんですよ。

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 Re: 「原子炉と放射性物質〜事故と復興」
 2012/06/21 09:26
塩見真一
藤井先生の授業から得たことをいくつか。

まず、原発自体は私が思っていたほどしょーもない造りではないということ。東電福島第一原発には、電源なしで動く自然循環式・タービン式の冷却装置が装備されていて、しばらくは働いていたそうです。まあ結局のところたいして役には立たなかったわけだけれど、電源喪失に対してぜんぜん無策だったわけじゃない、その点で私の評価は訂正しなきゃなりません(なぜそういった装置の存在が報道されなかったか、または私の目に触れなかったかという問題は残ります)

またもうひとつ、東北電力の女川原発は想定を超える地震に襲われたけれどもぴたりと停まり、記録上の最大を上回る津波も防ぎ、きっちり冷却を続けて放射性物質を閉じ込めた。これはたしかに、技術が天災に打ち勝った実績として評価していいでしょう。
どうしてこの差ができたか、藤井先生のご意見ではつまるところ経営判断の差、「想定外」とよく言われましたがどこまで想定するかという姿勢の差だろうということでした。女川原発は文献に9.1メートルの津波が残っているので、その5割増として14.8メートルを想定していた、そこへ14メートルの津波がやってきた。一方の福島第一原発というと5.7メートルの備えしかしていなかった。東京に津波がないことと「東京」電力の津波対策が不十分だったことと無関係ではなかろうと、いうようなことを言われました。
まあなんだ、藤井先生は原子炉を研究してきた工学者ですから、やはり原発の技術面よりも原発を使う体制・組織・社会に問題があったと考えたいふしがあるのかもしれません。さらに言えば私も「ほんとは原発を擁護したい」人ですから、そう言われると納得してしまう傾向はあるかもしれません。

そういえば、授業の冒頭で藤井先生が、原発を使い続けることに反対ですか賛成ですかと尋ねられたんですね。私は前のほうに座っていたので見たわけじゃないんですが、反対が6割に賛成が2割くらいだったらしい。意外にはっきり分かれましたね、受講されるのはどっちとも決めかねている方だろうと思っていたんですが、と先生は仰いました。

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 Re: 「源流の森で学ぼう!2」
 2012/06/18 20:57
塩見真一
読み返していたらちと妙な表現を見つけました。

>先生方と技術職員の方々

fpcbookとしては「先生」と「技術職員」の違いについて議論してもいいかとは思いますがそういう話ではなくて。

「先生方」というのは、複数の先生がいることを表現しています。そして、「技術職員の方々」もやはり、複数の技術職員がいることを表現しています。……大丈夫ですよね、私がそういうつもりだというばかりじゃなくて、誰が読んでもほぼ間違いなくそういう意味で伝わりますよね。

複数人を表現しているのは同じなのに、なぜ違う言葉なんでしょう。

「先生の方々」と言えないことはないけどちょっと変だな、「技術職員方」はたぶん通じない。
何が違うんですかねえ。

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 「原子炉と放射性物質〜事故と復興」
 2012/06/18 20:54
塩見真一
……という面接授業を、5月18日からこっち渋谷へ通って受けてきたのでそのまとめ。

最初の3回は東工大原子力研究所の元所長、藤井先生から、核分裂と原子力発電のしくみと、福島第一原発の事故の経過について。続く3回は赤十字看護大の小林先生から、放射線の計測と健康への影響について。最後の2回は前世田谷学習センター所長秋鹿先生から、セシウムと土の化学と、原発および新エネルギーの新しい動きについて。

や、最後の1回はちと日程を間違って三沢行きの飛行機に乗ってしまったので聴けなかったのですが、しかし都合7回、朝7時半からの早朝授業はやっぱりきつかったですよ。6時に起きても食事するひまがあるかないかくらいで、たまたまあっちもこっちも仕事の山が重なってたりして、そのほかいくつか妙な用事もできて、まあとにかく忙しくて、なんだかひどく疲れた気のする3週間でした。

てゆうか……忙しいのが身体にコタエるようになってきた、んだよな。やれやれ困ったよ。

授業で学んだことについてはまたおいおい。

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 Re: μSvというていたらく
 2012/06/14 09:39
塩見真一
もう少し考えて、つまり、難しいことをわかりやすく伝えるのが私の本業なんで、その技能を使って前向きな提案をしましょう。一般公衆の低線量被曝、短期間なら問題にしなくていいが数十年にわたって浴び続けることは避けたほうがいい程度の放射線量を、普通の人々に的確に伝えるための表現方法の提案です。

   [Ft] = その場所の線量率[μSv/h] / 地球上の平均線量率[μSv/h]

つまり、普通にそこらを飛び交っている放射線とくらべて何倍か、という表現です。地球上の平均線量率を決めるのが面倒だったら「3.11前に双葉町役場で測った線量率」でもかまいません。いずれにしてもμSv/hが分母分子で消えるので、シーベルトとは何だか説明しなくても放射線量を表すことができるし、μは100万分の1だとかいう説明も要らない。/hも消えるから1年あたりだといくらかなどと換算する必要もない。さらに、線量率も累積線量も同じ値で表現できる。
普通の何倍浴びたかというのは感覚的にわかりやすいはずです。

さらにもう一工夫。

   [Fk] = log( [Ft] )

対数を取るので、1[Ft]つまり普通の放射線を浴びたときが0[Fk]になります。
いやなんだかねえ、放射線が0でないと安心できない人がいるらしいんですよ。この方法だったら0になるぞと、まあある意味では詭弁なんですが、でも危険な数値を隠すわけじゃない。安全なのに安心できない人が多いことを考えると、安全な放射線量が安全に見えるような表現方法が必要じゃないかなと、思いますよ私は。

ついでながら、Ftは「フタバ」、Fkは「フクシマ」のつもり。

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 なぜだかよく似ている
 2012/06/09 11:48
塩見真一
連休のあいだにPCを組み直すつもりをチャラにしてくれた某社の仕事が、一月も経たないうちに戻ってきました。なんでも発注元、某大手ケータイキャリアのシステムが変わるのでそれに対応しなければならなくなったのだそうです。
まあ地震と一緒で、時折はそういうことが起こって当然なんですが、しかしよりによってこのタイミングで起こるとキツいですよ。ベースがあるとはいっても改造するのと新しく作るのとではどっちもどっちの場合があるわけで、さらに前回は連休をはさんで2週間、茶を飲む暇もない無茶なスケジュールだったのが、今回は週末をはさんで6日という、茶を沸かす暇もないスケジュールになりました。こんな愚痴を言ってる暇はもちろんないわけですが、まあしかし言いたくなるわけです。

や、愚痴で終わらせるつもりはありません。
実は、この仕事のやりにくいところが、以前にもうひとつの大手ケータイキャリアの仕事でやりにくかったところと同じような気がするんですね。なんというか、情報をコンピュータで処理できるようにデータ化するという考えかたができていないみたいで、渡されるデータがめためたぼろぼろ、仕様書が付いてきたとしても説明になっていなくて、データベースに取り込むまでの段階でひどく苦労させられるのです。取り込むまでというよりさらに前だな、渡されるデータの仕様を整理して取り込む準備ができるまでに2日かかる。もうほんと厭になる作業なんですが、そこんとこが、2つの会社でなぜだかよく似ているんです。
最初の会社については、要するに「成り上がり」なんだしこういう社風なんだろと思ったのですが、今度の会社はもとから大会社、一般的には堅実な社風をイメージするような会社のはずで、その会社でもデータはこんな程度なのかと、いささか驚きました。
つまり、データをきちんと作ることは社風と関係なく難しいことなのだろう。とすると、この2社に共通する「データ作りのまずさ」を抜き出してみると、他の会社でもやはり同じ所がまずいかもしれないし、なにか一般的な特性が浮き彫りになってなんらかの工学的な知見につながるかもしれない、というわけです。
と、ひとまずこの週末はその仕事を片付けて、一段落したらおいおい、この2社から渡されるデータに共通のまずさをひとつずつ指摘してみます、という予告。この画像は何かも、おいおいに。

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 μSvというていたらく
 2012/06/07 23:13
塩見真一
いまさらなんですが最近になってちょっと考えたことがあって、つまり放射線量をシーベルト(Sv)で言うときにいちいちマイクロ(μ)やミリ(m)がつくのはいったいどういうわけか、ということです。それはつまり1Svという放射線量がとんでもなく大きな量だということだけど、だったらなぜそんな大きな量を1と決めたのか、まあ決めてもいいけど、なぜそんなスケールの合わない単位を使っているのか、ということ。

これ、たとえていうなら、本の大きさを21センチと言わずに「11マイクロマイル」と言うような、山の高さを3376メートルと言わずに「0.2258マイクロ天文単位」と言うような、曲の長さ3分23秒を「6.43マイクロ年」と言うような、間違いじゃないけどどうにもこうにも間の抜けた話でありますよ。
間抜けなのはまだしも、わかりにくい。私でさえマイクロのあたりになるとスケール感覚があやふやで、0.5ミリシーベルトと500マイクロシーベルトとどっちが大きいか一瞬考えてしまう。自慢じゃないが私は世間一般の人よりはそこらへんに強いはずで、つまり世間一般の人だと一瞬ではなくしばらく考え込んでしまったり結局間違った解釈をしてしまう懸念が大きい。ただでさえ難しい放射線の話が、スケールの合わない単位を使うせいで余計にわかりにくくなっているとしたら、テクニカルライターのはしくれとしては見逃せない問題であるわけです。

なぜ1Svがそんなに大きいのか調べてみると、どうやら致死量のオーダーで定めたみたいなんですね。手元の理科年表に生物種ごとの半数致死量の表が載っていて、ヒトの場合おおよそ4〜5Svの放射線を浴びると半数の個体が60日以内に死ぬと推定されているそうです。つまり、原子力施設で事故が起きたときに作業員が生きるか死ぬかという被曝量を測るための単位としてこのスケールを定めた、ということなら納得がいきます。

とすると、いま東日本で問題になっているような放射線量がマイクロスケールになるのもいちおう納得できる。
さらに、スケールの合わない単位を使わざるを得ないのも、こういった放射線量をうまく表現する単位が作られていないのも「安全神話」の一部として納得できる。原子力は安全だから、公衆を低線量被曝にさらすことは考えられない、それを測る単位も要るわけがない……という理屈が通っていたのでしょう。

くそ、半世紀も原子力を使っていて単位ひとつ作っていないとは、なんというていたらくだ、最終処分場を造っていないのより情けないぞ。

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 Re: 「源流の森で学ぼう!2」
 2012/06/06 10:46
塩見真一
近鉄特急に関連して問題がもうひとつ、2号車はどこかということです。

写真は宇治山田駅のホームで撮ったもの。「特急[2]号車」の上にあるのは読めますか……

   ご 案 内
名古屋行特急は前が1号車
大阪・京都行
特急は後が1号車

……と書かれています。反対側のホームにどういう掲示があるか確かめませんでしたが、あるとしたら「名古屋発特急は後が1号車/大阪・京都行特急は前が1号車」となっているはずです。

なぜそういう厄介なことになっているか。鉄の人は伊勢中川に三角線があるからだと答えるでしょうけれど、それ以前に、号車番号が車両に固定されているからですね。1号車を前にして名古屋へ行った列車が、折り返すときそのまま反対向きに走り出すから1号車が後になるのです。折り返すときに番号を振りなおして、上りも下りも関係なく常に前が1号車だという運用だってできるはずで、そういう運用をすれば名古屋行でも大阪・京都行でも前が1号車になり、この掲示は要らなくなります。反対ホームの鳥羽行き・賢島行きだって、名古屋発だろうと大阪発だろうと関係なく前が1号車になる。
結果、違う車両に乗ってしまう人や2号車はどこだか駅員に尋ねる人が激減するでしょう。一貫性を持たせるという、良いユーザインタフェース設計の原則が活きるはずです。

ああでもそうか、番号を振りなおしたらデラックスカーが1号車になったり6号車になったりする、それはそれで厄介なことになるかもしれない。
まあなんにしてもこんなことが起こる路線はめったにないのでね、どうやっても多少すっきりしないのはしょうがないでしょうけれど。

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 Re: 「源流の森で学ぼう!2」
 2012/06/04 08:45
塩見真一
授業の後、松村先生に万木先生、木を名前にいただく方が森林の研究をしているというのはやはり偶然だろうか、沼本先生が森林内の水の動きを研究しているというのもやっぱり偶然なんだろうかと考えながら伊勢へ下りました。1泊して、翌朝早く起きて鳥羽へ、鳥羽からさらに賢島へ行き、戻ってきて朝熊山555mに登りました。朝熊と書いて「あさま」と読むのですが、やれやれ、賢島で折り返しの間に食べるつもりで買っておいたおにぎりを宇治山田駅のコインロッカーに荷物と一緒に預けてしまったもので、つまり朝飯抜きで登ることになって、たしかにキツかったですよ。最初はまずまずの調子だったのが30分経過したところでがっくり力が抜けて、頂上まで40分の予定だったのが60分、そこで30分ほど寝転がって、雷も鳴りだして、宇治岳道へ下るつもりだったのをあきらめて朝熊へ戻りました。まあ、根本的にはトレーニング不足なんですが。

ひと風呂浴びて、帰りは名古屋まで近鉄特急、ビスタカーEXに乗りました。もちろん2階席。2号車の15番を指定されたのですが、そういえば来るときののぞみ99号の座席が15Eでした。座席番号に1A型とA1型の2とおりがあるというような話をここでもしたことがありますが、近鉄特急の座席はどちらでもないんですね。1番と2番が隣り合わせで、通路を挟んで3番と4番、前の列が5番と6番……というように、端から連番が振ってあります。
単純でいい、と言えるかなどうかな。私としてはやっぱり座席番号は2次元のほうがわかりやすい気がします。

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 Re: 「源流の森で学ぼう!2」
 2012/06/02 11:01
塩見真一
2日目は三重大学で講義と、構内の植物観察、測樹の実習。

講義はまず松村先生から、生物資源学部の紹介と森林科学の概論。ご専門は森林計画だそうですが、「地方大学」という立場意識と、その中で学生を育てていこうという暖かい想いが言葉の端々ににじんでいました。
続いて沼本先生から、森林の多面的機能とご専門の森林水文の範囲で土壌の維持と砂防について。歴史的に見ると現代は森林が大変充実していて、さらに砂防ダムがいやというほど作られたので、山から下流へ流れる土砂がめっきり少なくなり、護岸の下が掘り下げられたり、海岸の砂が減ったりしているのだそうです。有名な海水浴場なんかだと、山からダンプカーで砂を運んできて「養浜」ということをしているとか。一方で上高地の大正池なんかはだんだん埋まって沼・湿地に変わっていこうとしているのを掘り出して池のままにしているのだそうです。一言で言うとなんだかなーという話ですが、いやまったくなんですかねえそういうのは。

お昼の後は万木先生、「ゆるぎ」と読む滋賀県にはよくある名前なんだそうですが、大学構内の散策といくつか珍しい木の紹介。
教室に戻ると松村先生と沼本先生が輪尺などを持って待ちかまえていて、測樹法つまり木の大きさを測る方法を説明し、また外に出ていくつか大きい木を測ってみる実習。既存の測樹法が要するに木材としてのスギ・ヒノキの成長を測る方法なので、広葉樹にはあてはめにくく、しかし最近は広葉樹を測る必要が出てきてどうしたものか困っているのだそうです。写真はクスノキの樹高を測ろうとしているところ。赤白ポールが2メートルですから、比べてみるとだいたい6メートルかな。後姿が松村先生ですが、手に持っているコンパクトカメラみたいな機械が測定機です。まず超音波の反射を利用して樹までの距離を測り、続いて樹のてっぺんを狙うと内蔵されている傾斜計で角度を測り、タンジェントで樹の高さを計算して表示してくれるものだそうです。

2日間を通して、なぜか、若い学生さんたちが森林・林業を学んでいるという、そのことを強く感じましたね。会ったわけじゃないんだけどねえ、村松先生のお話のほかに、掲示板に貼ってあった専攻別の名簿や演習林実習の告知、演習林管理施設の宿泊室を覗いてみたりしたからだろうと思いますが。

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 「源流の森で学ぼう!2」
 2012/05/31 09:00
塩見真一
……という面接授業を、先週末に三重へ行って受けてきたのでそのまとめ。

中身はと言うとつまり、三重大学の平倉演習林の見学です。正式に言うと「三重大学生物資源学部附属紀伊・黒潮生命地域フィールドサイエンスセンター付帯施設演習林」という長い名前なんですが、広さも460haと大学演習林としてはトップクラスだそうです。場所は津市の南西約65km、雲出川の源流部、鉄の人には名松線の伊勢奥津のさらに上流というとわかりやすいかもしれません。標高は500から1200メートル近くまで、尾鷲に連なる豪雨地帯で年平均2400ミリ、昨年はわずか4日で1300ミリ降ったこともあるそうです。植生はモミ・ツガを主体とする天然生林が6割、スギを主とする人工林が4割。スギは200年前、藤堂藩の時代に植えられたものもあります。

1日めは9時半に三重大学に集合し、大学のバスで演習林へ。東京からだとのぞみ99号+みえ51号でちょうどいい時間でしたが、途中で休憩をいれだんだん民家が無くなり電柱が無くなり道が細くなりガリガリと脇をこすったりして演習林に着くともうお昼どき。案外立派な管理施設で演習林について簡単な説明を受け、食堂でお弁当を食べ、先生方と技術職員の方々に付き添われて林内を2時間ほど歩き、いろいろな木を見たり、雨量計や量水堰堤について説明を聞いたり、豪雨で崩れた斜面を見上げたり、してきました。モミとツガ、あと、ヒメシャラ、アセビは覚えたかな。
写真はその量水堰堤(覗き込んでいるのは沼本先生)。V字型のノッチにより水位から流水量を計算できるので、雨量計の数字と合わせて森の中を水がどう動いているか推測するという観測を25年続けているのだそうです。

帰りもバスで2時間かかったわけですが、鉄でない人が一人、伊勢奥津の駅前で降りて名松線に乗って帰りました。

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 Re: 確認のお願い
 2012/05/25 10:12
塩見真一
さて、ポストの奥から出てきたハガキを読んでみると……
放送大学 東京渋谷学習センター
面接授業の開講場所等について
   (確認のお願い)

 あなた様が登録をされた平成 24 年度第1学期の
以下の面接授業については、下記のとおり開講いた
します。
 授業科目開催場所をご確認いただき、学生証を
ご持参
の上、ご参加くださいますようお願いいたし
ます。
(省略:授業科目と開講日時)
開催場所:放送大学東京渋谷学習センター
(省略:問合せ先)

なるほど。秋鹿先生が仰っていた混乱にはこのハガキも含まれるのだろうなと思いましたが、しかしもう一度読んでみてやはり疑問に感じるのは、このハガキは有効な情報だろうか、ということです。もしこのハガキを行く前に読んでいたら役に立ったか、私は東急プラザでうろうろしたりしないで済んだだろうか。
そう思ってもう一度読むと答えはノーです。場所について私は「渋谷学習センターの面接授業は東急プラザの会議室で行う」と思っていたのだから、「開催場所:放送大学東京渋谷学習センター」と赤字で念を押されても、「ああつまり東急プラザだよね」と理解したでしょう。
「東急プラザではない」と言いたいはずなのに「東急プラザだよね」と伝わってしまうのはなんとも困った話ですが、さらに困ったことにこのハガキに書いてあること自体は間違っていないんですよ。

私が書いてるドキュメントにもこういう問題が潜んでいないかと考えると、もしあったら自分で気付くのは難しいはずなんで、けっこう怖いところです。

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 確認のお願い
 2012/05/24 09:34
塩見真一
今年新設された渋谷学習センターで、とある面接授業を受けてきました。渋谷駅から5分、駅前と言うことなら埼玉や福井のほうが勝つと思いますがそれでも地価・賃貸料で言ったら渋谷は桁が違うでしょう。そこで教室を削って単位認定試験や面接授業は近くの貸会議室を借りて行う、「都市型学習センター」という触れ込みで開設されたのでそりゃどんなもんだろうという興味もあって受講したのですが、やれやれ、エラい汗かいたですよ。

早起きして、朝ラッシュ前の電車に乗って渋谷へ行き……平日出勤前の時間帯に面接授業を開くというのも新しい試みです……、面接授業の会場になっている東急プラザへ行ってみると、正面入口のシャッターが降りている。この時点で3分前というのは私の心がけが悪いんですが、それにしても案内も見あたらずどうしたらいいかわからない。裏口へ回って守衛に尋ねてみるがわからない。とにかく入れてもらって会議室のフロアへ上がってみると閑散としている。事務室で尋ねてみると夜の面接授業はここだが朝は学習センターでやるはずだと言われ、もう少し歩いて五島育英会ビルへ行ってみる。放送大学の入り口を入ってみると奥にガラスの自動ドアがあって、こいつが開かない。ドアの中にも外にも人影はなく、もう帰ろっかなと思いながら他に入口があるのかと見回したら「学生証をカードリーダーに通してください」と張り紙がある。磁気情報なんて付いてたっけかと思いながら学生証を引っ張り出して通すとドアが開き、ちょうどそこへ所長の秋鹿先生が通りがかって、面接授業ですよねその奥の教室ですよと仰いました。2年ほど前に先生の面接授業であちこち見学に連れて行ってもらいましたが、覚えられてたかなどうかな、東急プラザへ行ってしまいましたと言うと、ああ済みませんねえなにしろ初めてなものでこちらもいろいろと混乱していましてねえということでした。

さてそれで、その晩家に帰ってポストを開けてみると、こういうハガキが奥のほうに埋もれていました。……と、前置きだけで終わってしまったけどここで一段落。

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 「THE PROTESTER」
 2012/05/23 09:06
塩見真一
IJRM-0055 制服向上委員会 アイドル・ジャパン・レコード [2012.5.1] 定価¥3,000(税抜価格¥2,857)

と、これがその、最近リリースされたアルバム。protesterとは「抗議する人」ということで、んー、私もこのタイトルを知ったときはちょっとどうかと思いました。「抗議」というのはけして生産的ではない行為で、しないで済むならそのほうがいいし、レベルの低い抗議は単なる文句・不平にしかならない。それに、抗議によって状況が好転することはあまりない、実効の点でも他の方法を探してみるほうがいいと私は思うわけです。
まあ、日本人的な事なかれ主義、逃げてるだけかもしれません。隣の課で毎日毎日でかい声でげたげたげたげたくっちゃっべってる連中なんかには耳栓をするとかヘッドフォンで音楽を聴くとかするより「やかましい!ここは居酒屋じゃない!」と抗議するほうがいいかもしれない。

……じゃない、protest songは音楽の一分野であり反戦歌がその代表なのですが、しかしそう知っていてもネガティブな印象は避けられません。脱原発をうたったグループが続いて「抗議」ときたら、なんかもうはっきり政治的色眼鏡で見られることになりませんかね。

まあ、聴いてみるとそれは杞憂でした。「Save the Children」「きりん」「My Little Boy Friend」「PROTESTER」「悪魔 NOだっ!民主党」「It\'s Only Love」「は〜い」「おまじない」「大好き」「罪を憎んで」「好きなんだ」「LOVE&PEACE」。右とか左とか関係ない、ただ人として、ダメなものにそれはダメでしょと言う、悲しいことを哀しむ、善いもの・美しいもの・優しいもの・かわいいものに愛を告げる。なんのことはない、いつもの、いまの、これまでの、これからの制服向上委員会を歌っているだけです。なるほど、ジャケットもこれだしなあ。

……とはいえ、聴く人によってはけっこうな毒を含んでいることもたしかだよな。これなんかどうです、「LOVE&PEACE」の間奏部分のセリフ……
拝啓天皇陛下さま、今まで私はあなたのことを良く知りませんでした。
しかし時の総理が被災者の前を足早に通り過ぎたのに、
あなたはひざまづき、手を差し伸べ、接していらっしゃいました。
あなたの優しい笑顔、大きな愛、私は、尊敬いたします。
(作詞:鈴之助 Vo:美香、杏奈)


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