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2012年初秋の掲示板

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 Re: 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2013/01/04 10:12
塩見真一
旧騎西高校訪問の話は2回で終わらせるつもりだったのですが、「よつばと日めくり」がたまたまにしてはなんとも重たい一言をつぶやいたのでもう1回。

「転ぶのは恥ではない 転んだままでいるのが恥なのだ」

「いま困っていることがあったら教えてください」に対して、双葉のおばさんは「そんなこといいから楽しく歌おうよ」と言いました。転んだままでいいからと言うのです。私はなんともやりきれなく思いましたが、翌日になって頭に浮かんだのは、あの人たちには諦める権利がある、ということでした。
だって、双葉にはどう考えても帰れないのです。人生のまだ前半を生きている人ならともかく、もう余生と言えるフェーズに入った人たちが突然故郷を追われ帰れなくなって諦めたとしても、その人たちに「転んだままでいるのは恥だ」と言うわけにはいきません。
私は諦めないことを美徳だと思ってきた、希望を捨てずに頑張ることを正義だと思ってこれまで生きてきた。そうとは言いきれない場合があることも薄々は感じていたのだけれど、しかしいまはっきり知ったわけです。

とはいえ、あの人たちには諦める権利があるとしても、私たちには、ウチの娘たちにはその権利はありません。諦めずに、また歌いに行かなきゃなと思っています。

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 Re: 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2012/12/30 11:23
塩見真一
さて、左の写真はライブ会場になった柔道場。特有のなんかふわふわする畳ふうマットの上に折りたたみ椅子が30脚ほど置いてありました。正面にはごらんの横断幕、右側の壁には町からのお知らせや今後のボランティアライブの予定や、定期的にこの柔道場で開いているらしいアンダーゴルフ大会の結果が貼りだしてあり、片隅にはそのアンダーゴルフの道具らしいボールや旗が雑然と置いてあったり、要するにまだ避難中、あれこれ行き届かない様子が垣間見えました。

時間になって集まったお客さんは15〜6人。ついて来たファンクラブの人たちのほうが多いくらいでしたが、それでも、ここでやるボランティアライブの中では多いほうなんだそうです。というか、2回来たのはウチの娘たちが初めてだと聞きました。
「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」「大きな古時計」など数曲歌ったところで、避難している皆さんのお話を聞く時間という設定だったのですが、これは、うむ、贔屓目に見ても失敗でしたね。ウチの娘たちの思惑としては避難生活で困っていることを聞いて、たとえば靴下が足りないとかいったなんとかできることならして上げようというつもりだったのだろうと思うのだけど、お客さんの大半は黙り込んでしまいました。
向かい合って座ったのもまずかったかもしれないし、橋本美香がそのころ都知事選の応援をしている話をして政治家の名前が出たのもまずいほうに働いたかもしれない。プロデューサーの高橋さんが、話を聞きたい背景としてウチの娘たちの最近のボランティア活動について説明してもアイスブレイクにはならず、私は見かねて「双葉町のいいところを教えてください」と尋ねてみました。するとおばさんの一人が答えてくれたのですが、「魚がおいしい、それと原発があるので福祉施設などが充実している」と、私は、情けないながらこの答えに返す術がありませんでした。

電源三法交付金のほかにも固定資産税や住民税、核燃料税など、135kWの大型原発1基あたり年間およそ34億円が地元に入るのだそうです。事故の被害に比べるとお話にならない額ですが、それでもこれまで双葉・大熊・楢葉・広野の各町が原発のおかげで潤ってきたことは間違いなくて、双葉町議会は東電に増設を要請したりもしている。
この矛盾は私にはなかなか飲み込めるものではなくて、むしろそれに触れずに旧騎西高校訪問を済ませたかったくらいなのですが、直面させられてしまいました。

と、いうところでもう1度以下次号。

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 Re: 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2012/12/27 09:59
塩見真一
面接授業とは関係ないんですが、同じタイトルで伸ばします。

まず写真の説明をしますかね、前景はウチの娘たちのうちの清水花梨、脇の車はいわきナンバー、背景は埼玉県加須市の旧県立騎西高校の校舎です。騎西高校と言ってわかる方もいるでしょうけれど、双葉町の避難先、町役場だけでなく千数百人の町民がいまだに避難所生活を送っている。そこへ2週間ほど前、ウチの娘たちがボランティアとして歌をうたいに行くので同行したのでした。

1年半以上経ってもまだこういう生活をしている人たちがいるということは、あまり知られていないそうです。たしかに、私の弟もその話をすると驚いていました。
なんといっても学校です。校庭の一部をつぶしてプレハブの浴室を作っているところでしたが、つまりこれまで入浴施設は体育館のシャワー室だけだったらしい。当初はトイレも足りなかった様子で、駐車場の隅には使用停止と書かれた仮設トイレが並んでいました。居室つまり元の教室までは見ませんでしたが、ちらりと見えた剣道場にはダンボールの仕切りが並んでいました。

ウチの娘たちは前にも一度、10月に来たことがあるそうです。歌は楽しんでもらったけれど、お話を聞く時間が取れなかったということで、今度はそういう時間も作りますと、行きのバスの中で聞きました。

……というところで以下次号。

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 Re: 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2012/12/24 11:00
塩見真一
葛尾で見てきたものをもうひとつ。左の写真ですが、なんだかわかりますかね。私は見た瞬間にはわからなかった。ビニールが風で吹き寄せられて一瞬中が透けて見え、それで郵便ポストだとわかったのでした。
むう、集配はもちろんしていないのだろうし、郵便物を投函できなくて困る人はいないはずだし、むしろ投函されたって困るということもわかるけれど、しかしこんな、わざわざビニールでくるんでガムテープでとめたりするってのは、なあ。

この場所にあった人々の暮らし、ここにあった地域社会が消滅したのだということを、なんかもうつくづくと感じさせられるわけですが、それにしてもこの先いったいどうなるのですかね。
すでに戻る意志を持たない人が30代では半数近いという話も聞きました。それは無理もないことだと思う、戻らない人を責めるつもりにはなれないのだけれど、しかしたとえば10年後に戻れることになったとしても戻ってくるのが老人ばかりでは地域社会は成り立たない。若い人たちが戻ってこないのなら、このポストはずうっと覆われたままになるに違いない。

日山神社の鳥居が建て直されるのは喜ばしいですが、まあでも崩れたままでも悪くはないでしょう。このポストの覆いが外されるように、外される日が来たらほんとうに喜ばしいと思います。

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 Re: 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2012/12/14 09:43
塩見真一
面接授業の前日、金曜日には休みを取って、3度めの葛尾へ行ってきました。
郡山で車を借りて、もう見慣れた道を東へ。天気予報では昼まで雨ということだったのだけど、雨雲の動きが少し速くなったらしく、きれいな秋空が広がっていました。コンビニで水とタオルを買って、計画避難区域に差し掛かるあたりで、線量計を忘れてきたことに気が付きました。まあいいさ、問題にするような被曝量にならないことはもうわかっています。
県道50号から葛尾村へ入ります。前回は村の東のほう、といっても警戒区域にひっかからないあたりを主に見て回ったので、今度は西のほう。野川、湯殿、林道へ入ってみて草刈場、山ひとつ越えて湯口、北平、梨木平、風越。別荘地ふうの道を上がっていくと立派な駐車場があり、日山への登山口があったのでちょっと登ってみました。

写真は日山山頂の展望台から。崩れた鳥居の下にアルミの梯子が転がっていますが、建て直すことになったらしくて、片付けたり計ったりしている方がいました。そのうちの一人が線量計を持っていて、役場で借りてきたそうですが、むー、どれくらいの数値だか聞いたんだけど忘れてしまった。
村内のあちこちに設置されている線量計で見かけた数値は、0.712μGy/hとか0.689μGy/hとかいったあたりでした。

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 Re: 「なお基本一切の質問を受け付けません」
 2012/12/13 09:38
塩見真一
>「ところであの写真はなに??」

あーそれは私も考えたのですが、基本の範囲内かなと思ってやめにしました。

ちなみにもうひとつ考えた質問は、「このフォントは何ですか」でしたが。

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 Re: 「なお基本一切の質問を受け付けません」
 2012/12/12 16:49
みちる
あは あはははははは(^^;

30枚ほど出したのですが全てに同じはがきをお送りいたしました(^^;
そのうち1名からはがきが届くタイミングで携帯に不在着信があり、1名に連絡をとったとき「ところであの写真はなに??」と聞かれました。

これ印面をここに出さないと通じないですねぇ(;´∀`)

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 「なお基本一切の質問を受け付けません」
 2012/12/12 11:09
塩見真一
時節柄名簿を整理していて、つまり今年住所が変わった方や新しく知己を得た方や喪中の方をチェックしていたわけですが、そしたらその中に「なお基本一切の質問を受け付けません」と、まあ普通は書かないようなことが書かれたハガキがありました。
はあなんつーか類は友を呼ぶということかなと思ったり、これはつまり基本に該当しない質問をしてみろという謎かけかもしれんと考えたりしながら忙しさに紛れていたのですが、思い出したのでひとつ質問をしてみようと思います。

この、「なお基本一切の質問を受け付けません」というのは、全部のハガキにプリントしてあるのでしょうか、それともウチへ来たハガキ(ほか数枚)だけでしょうか。

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 Re: 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2012/12/12 11:05
塩見真一
授業の中で、本の中でも、清水先生が「思いきって言うが」と前置きして言われたこと。福島第一原発事故の責任は、誰が、どれくらい負うべきかという話です。
先生のお説では、当事者である東京電力が4割、規制・指導の立場にある国が3割、誘致という形で原発を推進した自治体が2割、そして国民が1割、ということでした。

私は事故の当初、自分はパソコンやゲームという電力を絶対的に必要とする業界で生計を立ててきたのだから間接的な責任からは逃れられないと思い、その後しばらく経つうちに電力を絶対的に必要としてきたのは自分だけじゃないと気が付いたわけで、つまり国民の責任は1割などと言わず、もっと大きくていいと思いました。

というか、そういう話で国と国民とを分けて考えるのは、いやそれが現実に即していることは認めるけど、しかしどうよ。

国の責任は国民の責任のはずです。そうでなければ国民主権国家とは言えないし、現実問題としてもたとえば国が賠償金を支払うとしたらその金は税金から出るわけでつまるところは国民が負担することになる。
や、どうせケツを拭くのは国民なんだ、国の責任は国民の責任だと考えたほうがすっきりするじゃありませんか。というか、こっそり税金を取られたりしているのも、元をたどれば国と国民を別だと考えるところから出てるんじゃありませんかね。

写真は、学習センターの隣の開成山公園。読めますかね、数週間前に除染をして、2.45μSv/hだったのが0.47μSv/hになったそうです。遊具のある広場では子供がわいわいきゃあきゃあ遊んでいました。

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 『原発になお地域の未来を託せるか』
 2012/12/06 09:31
塩見真一
清水修二 自治体研究社 ISBN978-4-88037-570-0 2011年6月15日−6月30日第2刷 定価(本体1600円+税)

順序がすっかり逆になりましたが、岩手へ行く前の土日、郡山で「原子力発電と地域社会」という面接授業を受けてきました。で、これがその授業の教科書として指定されていた本。……あーでも授業の中では結局ほとんど触れられなかったんですが、私は前の晩に三春の旅館で予習としてひととおり目を通しました。

著者で面接授業の講師でもある清水先生は財政学がご専門だそうですが、32年前に福島大学に赴任して以来「なぜ福島に・双葉に原発が何基もあるのか」という観点で研究されてきたそうです。チェルノブイリにも何度か調査・視察に行かれたそうで、その折の写真も見せてもらいました。
本は「原発震災は何をもたらしたのか」「社会問題としての原子力」「原子力発電の財政学」「原子力発電と地域の将来」「復興に向けた道筋」と5章構成。授業はこれにここ1年の動きやベラルーシ・ウクライナ視察のレポートが加わった感じ。
私の主な関心だった「電源三法」というもの、都市が原発リスクを地方に押しつける構図を支えてきた法制度もテーマのひとつでしたが、やれやれ、また「知らなかった」ことが出てきましたよ。
つまり、原発を地方に押しつける見返りとして国がさまざまな補助金を払ってきたわけですが、その財源は電気料金に「こっそり」上乗せされていた、ということ。電源開発促進税というやつ、直接には電力会社が払うのだけど要は間接税で、結局は需要者が負担している。1000kWhあたり375円、一般的な家庭で年に1300円くらい。
や、私らが負担するのはかまわない、ある意味当然だとも思うんですが、問題はこの金額が電力の原価に組み入れられてしまい、負担していることに気づかないしくみになっていることなんですよ。

むむう、いいのかそれ。いや、考えてみるとガソリン税や酒税も同じことで、知らされずに払わされている税金は他にもきっと無数にあるのだろうけど、しかしそういうの、民主主義・国民主権国家のありかたとしてどうですだよ。

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 Re: 『恋スル古事記』
 2012/11/29 09:42
塩見真一
>古語で、「あなにやしえをとこを」と言ってくれないと。

とか言っておいてアレですが、「あなにやしえをとこを」で何を言われているかわかるのは、よく考えてみるとやはり絵があるから・ストーリーがあるからですね。原文の「阿那邇夜志愛袁登古袁」では何を言ってるのかほんとにわからないのだけど、しかしこの流れで・この表情で言われたなら、つまり言葉はもう要らないというやつ、現代語だろうと古語だろうと、日本語だろうと古代ゲルマン語だろうと、気持ちはしっかり伝わるわけです。

や、ここでようやく気が付いたのだけど、「なんて素敵な人でしょう」でへなへなするのは現代語だからではなくて、無個性な・感情のこもらない・棒読みの書き言葉だからですよ。
ことに私は『ぼおるぺん古事記』(左:上の2コマ)で古事記を面白い物語だと思ったわけなんで、そういう目で見ると『恋スル古事記』(左:下の2コマ)が見劣りするのもまあ当然かな、と。

や、こうやって並べてみるとますます当然かなと。

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 『恋スル古事記』
 2012/11/23 18:45
塩見真一
近藤ようこ 角川書店 ISBN978-4-04-110319-7 2012年10月30日 定価:本体1100円(税別)

古事記ものをもうひとつ。近藤ようこさんは私にとってこうの史代さんより遠くて、なんというかまあつまり勢い余って買ってしまった感じ。高いよな、よく見ると。

まあいいや、ざっと説明すると「神々も恋をした。」というキャッチのとおり、古事記にある恋愛エピソードを5つ抜き出して漫画化したものです。
まず「黄泉津比良坂 イザナギとイザナミ」、続いて「オオナムジの冒険 オオナムジとスセリヒメ」、「綿津見の魚鱗の宮 ヤマサチヒコとトヨタマヒメ」、「稲城の火 サホヒコとサホヒメ」、「やまとをぐな ヤマトタケルとオトタチバナヒメ、ミヤズヒメ」。

んー、絵の好き嫌いももちろんありますし、圧縮率というか端折り具合の違い、つまり原文でおよそ2300字『ぼおるぺん古事記』では44ページで語られたイザナギとイザナミの物語が、こっちでは28ページに押し詰められているとかいったこともありますが、突き詰めて言うとやはり現代語なのがちょっとなんともかんとも興ざめでありますね。
地の文はともかくとしてもセリフはやはり古語で、「あなにやしえをとこを」と言ってくれないと。「なんて素敵な人でしょう」とか言われたんでは、なんだその、へなへなするですよ。

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 第十八共徳丸
 2012/11/19 09:19
塩見真一
小友から陸前高田へ向かいました。
きっと地学的に説明できるだろうとは思うのですが、このあたり、陸前高田のあたりは津波の破壊力が特に大きく働いたみたいで、もう十分あちこち見てきたつもりの私があらためて呆然とするような光景が広がっていました。大槌が町なのに対して陸前高田は市で、街の面積がそれだけ広かったということもあるかもしれません。「奇跡の一本松」の切り株でも見て行こうかなどと考えて来たのでしたが、見渡す限りの流された街に、そんな、物見遊山ぽい気分は吹き飛びました。
いや吹き飛んだというか正直なところうろたえてしまって、バイパスを走り抜けてきただけ、町はずれに仮設の観光物産センターがあったのも横目に走り抜け、次の目的地をカーナビに設定しなきゃと車を停めたのが陸前高田森林組合でした。いや、元とか跡とか言うべきなんですが、とにかくここも、海からかなり走ったのに津波で壊されていました。

JR気仙沼駅を目的地に設定すると、ちょうど車を返す時間に到着予定と出ました。大船渡線に沿って峠を越え、宮城県に入りました。「研修中」というバスを追い越し、平野部へ出てきたところで、流された街の中に見えてきたのが左の写真。ちょうど鹿折唐桑の駅前だったあたりです。
なんてこった、漁船が市街地に乗り上げたことは知っていたはずなんですが、なんともうかつなことに、ここだとは知りませんでした。偶然に通りかかるとは、……いや、つまりはまた、神サンがこれ見とけと言うてはるのや、と思うことにしますが。

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 「避難せよ」「避難せよ」
 2012/11/14 09:25
塩見真一
恋し浜から峠道を越えて綾里へ。駅の裏にそびえる山は綾里富士というそうで、登ってみる計画も立ててはみたものの、そんなことしてると気仙沼まで行けなくなりそうで諦めたのでしたが、とりあえず写真だけ撮ってきました。

綾里の次は陸前赤崎。カーナビはここが目的地だと言うのですが、短い鉄橋があり堰堤の補修工事が行われているだけで、駅らしいものは何もありませんでした。

残り時間が気になってきて、大船渡に入る前のコンビニでおにぎりとお茶だけ買って、盛までは行かずに陸前高田へ向かうことにしました。
小友駅の手前の踏み切りで、ふと脇を見るとレールがちぎれて流されていました。小友駅はホームしか残っていなくて、黄色い点字ブロックでようやく改札口がわかるような状態で、や、陸前赤崎や唐丹や大槌みたいに海のそばならわかるんですが、こんなところまで津波が来たのかと、しばし唖然としてあたりを見回してしまいました。

写真はその小友駅の近くで見つけた避難路。見るからに新しく作られた道で、標識には愛知県のある市の名前と、学校学年氏名が書いてありました。見比べるとどうやら姉妹らしく、なぜか私は、避難していった人が故郷に残した物だろうと思いました。

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 「前向いであべ!」
 2012/11/11 09:16
塩見真一
ふと思いついて、カーナビに「唐丹駅」を設定しました。おおむね三陸鉄道南リアス線と大船渡線に沿って南下するつもりではありましたが、うかつにも駅を訪れることは考えてなかったので。

唐丹駅はやや高台にありましたが、入江の奥なので津波も昇ってきたらしい、駅前にはプレハブの仮設店舗がありました。

吉浜駅には、ディーゼルカーが1両、すっかり錆びついたレールの上に停まっていました。方向幕は「団体」となっていましたが、乗っていた人たちはどうしたのでしょうか。

甫嶺駅では「届け、皆の気持ち。蘇れ、三陸鉄道南リアス線」という横断幕のもと、堰堤の補修工事が行われていました。

小石浜の集落を過ぎると恋し浜駅、80段ほどの階段を上がったホームには鐘があり、待合室にはすっかり名物になったホタテ絵馬がびっしり下がっていました。
写真はその待合室のドアに張ってあったポスター。ああやっぱりという感じですが、『ゴーガイ!』の飛鳥あるとさんが描かれたものです。や、2巻から後を読んでいないので、ああやっぱりなどと言うのは少々申し訳ない気もしましたが。

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 「地球の微動あらざらんか」
 2012/11/09 10:25
塩見真一
面接授業の後、釜石で一泊して翌日、車を借りて気仙沼へ向かいました。昨年は北へ向かったので、今度は南へというわけです。

釜石の街は、昨年に比べるとだいぶ片付いていました。表通りの建物は修理されるかあるいは更地になっていて、たとえば北海道あたりの田舎町だと言われれば納得してしまうかもしれない、そんな感じになっています。
もっとも、ちょっと裏通りへ入ってみるとまだ壊れたままの家もあり、プレハブの仮設商店街もありました。

国道45号線を南へ、ひとまず伊能忠敬ゆかりの「測量之碑」へ行ってみました。国道からちょっと脇道へ入り、さらに道から少し登ったところにその碑はありましたが、碑文はもうだいぶかすれていて、しかも隷書で私にはほとんど判読できなくなっていました。

で、道まで下ってきて気がついたのが写真の石碑。「地球の微動あらざらんか」とはっきりくっきり読めるのではありますが、あらざらんかって否定の疑問でつまり反語?それとも感嘆?、微動って何のことなの3.11地震も微動なの? 私にはこの碑文が何を言っているのかまるで判らないのです。

いずれにせよ、平成2年にこれを揮毫された釜石市長も平成24年の今だったら違う言葉を選ぶのではないでしょうか。

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 Re: 「森林資源とバイオ燃料」
 2012/11/08 09:32
塩見真一
もうひとつ、この面接授業に関して残念だったかもしれないこと。

写真は、先生の研究室の在室表です。遠心分離機が放送大学には無いので、使わせてもらいに隣の建物へ皆でぞろぞろとでかけていったのですが、ついでに見せてもらった研究室の中で一番印象に残ったのがこれ。なんか楽しそうだなと思ってよく見ると、6人のうち5人が女の子なんですな。
で、この中の3人が実験助手として2日間付き合ってくれたのですよ。放送大学にしてはめったにない華やかな授業だったのですが、私は先生が担当する1班になってしまったもので、話をする機会もないまま終わったのでした。
むう、これを残念と言っていいものか、どうか。

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 Re: 「森林資源とバイオ燃料」
 2012/11/05 10:44
塩見真一
実験は面白かったものの、工業的なバイオ燃料の製造ということで考えると、これはどうもコストがかかりすぎます。原料の木材を破砕するのも大変だし、糖化に濃硫酸を使うというのも大変な話。トウモロコシなどのデンプンを使えば希塩酸や酵素で済むし、サトウキビや糖蜜を使えばそもそも糖化工程が要らない。なので現状、アメリカではトウモロコシ、ブラジルではサトウキビからバイオエタノールを作っていて、木材からエタノールを作っている工場は堺市にひとつあるだけ、そこは原料が建築廃材でタダで済むから成り立っている、という話を講義の中で聞きました。

結局のところエタノールだけでなくさまざまな副産物が得られるような工程を編み出さないと、木材を化学資源として使うのは難しい、ということなんでしょうね。講義の最後に「ウッドケミカルズ」という、たとえばポリエステルのような現在石油から作っている物質を木材から作ろうという動きもあり、大手化成メーカーが植林を始めていたりもするそうです。

しかしな、植林するとなると樹種が問題になるはずなんですよね。スギならこの段階でこれが取れる、クスノキならこういう処理をするとこれが取れる、というように樹種によって工程も変わってくるかもしれないし、これまで雑木扱いだった樹種に有用成分が含まれていたりするかもしれない。
もうちょっとそのあたりの話を聞けるとよかったかなと、思います。

写真は実験用具一式。このほかに試験管立てや天秤や電気コンロなどもありましたが、いずれにしても実験に使用する道具がこうやって準備されている。ということはつまり、この実験で何をするかはきっちり計画されていて、おそらくは何度か試行されているわけです。偉いことだなあと、思いました。

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 「森林資源とバイオ燃料」
 2012/11/01 09:50
塩見真一
……という面接授業を、先週末に盛岡へ行って受けてきたのでそのまとめ。

森林をエネルギー資源として使うことにはここしばらく興味を持っていましたから張り切って「はやて13号」に乗ったわけですが、要するに樹木を原料にしてアルコールを作る実験をする授業でした。講師は岩手大農学部共生環境課程・森林資源化学研究室の小藤田先生。1日目はバイオ燃料について講義のあと、ブナ木粉に濃硫酸を加え温浴してヘミセルロース・セルロースを単糖に分解し濾過してリグニンを取り除き炭酸バリウムで中和して木材糖化液を作る実験と、そのあいまに、フェーリング反応によってグルコース/アミロース/セルロースの性質を確かめる実験(写真)。2日目は前日作った糖化液にセルロースとキシロースが含まれていることを薄膜クロマトグラフィーで確認する実験と、糖化液にドライイーストを加えて発酵させ炭酸ガスが発生することを確かめる実験。……けっこう盛り沢山だったんだなあ。

化学の実験は久しぶりで、だいぶ昔に購入して使っていなかった白衣を引っ張り出したのでしたが、うん、面白かった。
樹木の化学成分については最近勉強していたし、糖・多糖についてもこのあいだ勉強したところだったので、試験管の中で起こっていることがおおよそわかっていて、それで楽しむ余裕ができたということでしょうね。実験手法について考えたり、これを工業的に展開することを考えたりもしてみました。

そうだなあ、どうせなら木粉を作るところから始められるとよかったかな。杉や桜の端材を鋸で挽いて乳鉢ですりつぶす作業もしてみると実際の工程に近くなります。いや実際の工程という意味では、最後にアルコールを脱水・濃縮することも必要ですよね。アルコールを取り出すのが実験としては難しいので炭酸ガスの発生を確認することにしました、と先生は仰っていましたが。

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 Re: 『ぼおるぺん古事記(一)天の巻』
 2012/10/24 12:24
塩見真一
古事記の原文と『ぼおるぺん古事記』の漫画と比べて、漫画のほうがわかりやすいのはどういう表現方法が効いているのだろうかという研究。
左は何度も例に出している「伊邪那岐命語りて詔りつらく」の場面ですが、やれやれ、どうせだったら伊邪那美か櫛名田比売の出てくる場面にするんだった。や、天之宇受売とは言いませんが、やはりもうちょっと色気というか華のある場面がよかったよねえ。

気を取り直して、これが「わかりやすい」理由を抜書きしてみると……
・人物と状況、誰が何をしているのかが絵で示されていること
・地の文とセリフが分けてあること(ここにはないが擬音もある)
・固有名詞「伊邪那岐命」が囲みで示されていること
・漢字かな交じり、助詞や用言の活用部分がかなで示されていること
・漢字に読みがなが振ってあること
・適宜に改行され余白があること
……と、こんなところでしょうか。

やはり最初に挙げたポイント、登場人物と状況が示されていることが大きいと私は思うんですが……んー、いや、ふだん私が扱っている技術ドキュメントの原稿ではそういうことがはっきりしなくてわかりにくいことが多いので、だからそれが重要に見えるだけかもしれません。インターホンという表現が面白くて、だから効果があるように思えるだけかもしれません。
いずれにしても、他のポイントはわかりやすいというよりも「読みやすい」理由です。読みやすい、つまり読むための労力が少ない分だけ、読み手は中身を理解するために頭を使えるので、間接的ではあるがわかりやすいことにつながっている。つまるところ、わかりやすい文章を書くには読みやすく書くことが重要なんですね。

……まあ実のところ、これは別に『ぼおるぺん古事記』でわかったことではなく私が普段から考えていることで、その実例がひとつ見つかったと、そういう話なんですが。

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