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2011年初夏の掲示板

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 Re: [天|人]災の光景 3日目の3
 2011/07/08 21:59
塩見真一
3日目の3。
葛尾村へやってきたのは人災の光景を見るためでしたが、ええと、ミイラ取りがミイラになった、人災を起こしてしまいました。

399へ戻り峠を越えて葛尾村へ入ったあたり、ゆるい左カーブを直進して対向車線を横切り、右側の反射板を蹴倒し、側壁に前輪を擦り付けて跳ね返され、反射板をもう1本蹴倒してしまった。
や、眠たいなあ危ないなあと思ってたんです。けど峠道の途中に車停めるところはないから、この峠を下ったら一休みしよう、川俣で買ってきたさくらんぼを食べよう、とか思っていた矢先。下りきる手前、あとカーブひとつというところで意識が一瞬無くなって、パコンッとかいう音がして戻ってきた、思わずうわやったっと叫んでしまいました。
焦っていたのもあると思うんだ。山を下り車へ戻ってきて、靴と靴下を洗って時計を見るともう返却時間が迫っていて、郡山の営業所に電話をして2時間ほど延長してもらったところだったし、それでもあまり余裕はなかったし。

左車線に戻って車を停め、ととととにかく落ち着こうとさくらんぼを食べて、車の損傷を調べて、事故を起こしたときの手続きを確かめて、もう一度営業所に電話して事故受付センターへ電話して、通りがかったパトカーを呼び止めて、調書を取られて、やれやれ、何しに来たのと言われましたよやっぱり。
何か被災地の役に立つことをしなさいよとも言われたし、東京に避難してる人たちはいじめられてるそうじゃないかとも言われたし、オレは今日も防護服着て遺体捜索してたんだとも言われたし、そうそう、ここは入っちゃいけないことになってるだろとも言われた。

それで警察への届けも済み、気を取り直して郡山へ向けて走り出し、10キロほど走ったところで何か妙な音がすると思ったら右前輪がパンクしてました。もういっぺん事故受付センターに電話してロードサービスを頼み、計画避難区域だから警察の許可がないと行けないと言われ、そんなことはあるまいと思うけど人様にわざわざ被爆させることはないし、ひとまずできるかどうかやってみようと、生まれて初めてのタイヤ交換をして、間に合わないのでまた郡山営業所に電話してまた延長してもらって、いや、今にして思うとよくまあ電波が入ったものです。

いやそれより、よくまあ生きて帰ったなと言うべきですよね。何かがちょっとずれていたら死んでいてもおかしくない状況で、かすり傷ひとつなし。
運が強いなどと言う気にはなれません。まだ死ぬなと、もうちょっと生きて何かせえと神サンが言ってるのだと思います。
何かせえというのが何なのか、それがわからないのがいまちょっと困ったところです。

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 [天|人]災の光景 3日目の2
 2011/07/06 10:07
塩見真一
3日目の2。
飯舘村から399号を南へ向かいます。国道にしては貧相なところもあったけど、峠越えのヘアピンカーブはかなりきつかったけど、でもきちんと舗装されていたし、地震で陥没したところにはパイプの柵が立ててあったし片側交互通行の箇所には信号機も立ててあったし、これを「酷道」というのはいささか酷な評価でしょう。
浪江町に入り、459号を少し二本松側へ戻り、脇道に入って少し行ったところに車を停めます。阿武隈山地で2番目に高い日山1055mの、浪江側の登山口。数軒の家の入り口にもなっているのですが、軽トラが道をふさぐように停めてありました。空き巣狙いが多発しているそうで、住民の自衛策なのでしょう。や、私だってなあ、疑われたらかなり怪しく見えるはず。浪江に入ったところで警視庁のパトカーとすれ違ったけど、Uターンしてきてそこの車停まりなさいとか言われたらどうしようと思いました。

身支度をして、ストレッチをして、線量計を確かめて、登り出します。マスクも用意してきたけど、試してみるとかなり辛くて、すぐに外してしまいました。
登山口を過ぎてしばらく行くと、地図でわかっていたとおり小さな沢を渡ります。予想どおりさらさらと水が流れていて、普通なら一口飲んでいくところですがここではダメ、がまんします。峠に出たところで一休み、葛尾側から登ってきた道と合わさって、道が急に広くなりました。山道としては規格外に広く傾斜もおおむねなだらかで、ジープならそのまま登っていけそうなくらいです。山頂まで2.5km、1.8kmと、これまた規格外に大きな道標が立っているのを見ながら、つまりここは地元の小中学校の遠足コースなのかもなと思いました。本当だったら今日あたりが遠足の日で、子供たちがわいわいきゃあきゃあとここを登っていたのかもしれない。そんな場面に行き合わせたら大変だけども、いまこの地を覆っているのはそんな場面がありえないという大変。ここ3ヶ月のあいだにこの道を登った人はおそらく私しかいない、この先も当分おそらく私しかいないという大変。

山頂につくと、これまた規格外に広い、きれいな芝の広場になっていました。3階建ての大きな展望台があり、小高くなったところにこぢんまりしたお社があり、その前に写真のように、石造りの鳥居が崩れ落ちていました。
この鳥居を建てた人たちはどこでどうしているのか、その人たちはいつこの惨状を知るのだろうか、いったいいつごろこの鳥居は建て直されるだろうか。
展望台に上ってみても、原発事故の先は見えません。

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 [天|人]災の光景 3日目の1
 2011/06/29 18:52
塩見真一
3日目は月曜日。朝早くホテルを出て、阿武隈急行で福島へ、レンタカーで飯舘村と葛尾村へ。
人災の光景、おそらくは、いや望むらくは今世紀最大の人災の光景を見に行きます。ついでに、浪江町・葛尾村・二本松市・田村市の境にそびえる日山1055mに登ってきます。

実のところ、飯舘村へは寄らないつもりでした。ちょっと遠回りになるし、飯舘から葛尾へ抜ける国道399号がけっこうな「酷道」らしいし、さらに、その399号沿いが飯舘村の中でも特に放射線量が高い地域だったりするし。
それでもやっぱり飯舘村へ行くことにしたのは、飯舘村唯一の書店が休業したというニュースを見たからでした。写真がその書店「ほんの森いいたて」。あんまり書店らしくないたたずまいですが、役場の隣、公民館兼図書館兼児童館みたいな施設の一角が書店になっていた、みたいです。カーテンの隙間から覗いてみたところ、白いスチールラックらしいものが見えました。本は無くて、まあきっと返品したのでしょう。児童書の品ぞろえが充実していたそうですが、その様子をうかがい知るすべもありません。

「きっといつか再オープンするぞ!!」とありますが、いつになりますかねえ。役場の前に大きな線量計が据え付けてあって4.67μsv/hを表示していましたが、この値がだんだん低くなって2.3μsv/hを下回るくらいになれば計画避難は解除されるでしょうけれども、それはいつごろになるのか、そのとき戻ってこられる村人がどれくらいいるのか、その人たちで村が成り立つのか、書店が成り立つのか。
いやきっといつか再オープンするに違いないとは思うのですが、けして楽ではないだろうとも思うわけです。……楽なことなんてあるわけないとも思いますが。

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 [天|人]災の光景 2日目の2
 2011/06/25 09:10
塩見真一
2日目のその2。
石巻駅に着くと17時20分。1715の石巻線で小牛田に出て仙台に戻るつもりだったのですが、しばらく列車がありません。1800発の高速バスがあるのでそれに乗ることにして、地図を思い出しながら北上川のほうへ歩きます。

石巻の街は、ひどいことになっていました。歩道が陥没してマンホールが突き出している、ショーウィンドウのガラスが砕け散っている、壁が割れて屋根が傾いている。いや、こんなふうになっているのはわかっていたけど、こんなふうになったままだというのが、3ヶ月経ってまだ修復が進んでいないというのが、ひどいことでした。
ウチのマンションもひびが入ったまま2ヶ月ほってあったけど、この大地震なんだしウチが少々後回しになってもしかたないと思ってたんだ。けどつまり、石巻はウチより後回しになっているわけで、それはまた別のしかたないことだけど、やはりなんとも胸が痛みます。

しばらく歩いていくと、駐車場にオリーブグリーンの大きなテントが2つ並んでいて、片方に「男湯」、もう片方に「女湯」という張り紙がありました。中学生くらいの女の子が二人、洗面器を抱えてむこうからやって来ました。そうか、自衛隊の設置した「きたかみ湯」ってニュースで見たけど、ここだったのか。

北上川から道1本入ったところに、半壊したスポーツ用品店があり、これもニュースで見た覚えがある、オーストラリアのダイバーたちから贈られた寄せ書きがブルーシートの上に貼ってありました。がんばっぺ石巻Tシャツというものを売っていたので、1枚買いました。東京も大変でしたねとか言われたけど、とんでもない。1800円、千円札を2枚出して、おつり200円を受け取ったものかどうか少し迷いました。

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  [天|人]災の光景 2日目
 2011/06/24 22:00
塩見真一
2日目。ウチの娘たちの乗ったバスを見送って、地下鉄で仙台に出て、駅前のホテルに荷物を預けて、あおば通り駅へ向かったところから、私の2日目です。
あおば通りから仙石線の電車で松島海岸へ向かいます。松島海岸で代行バスに乗り換えて石巻へ。予定より遅れていて、代行バスがさらに15分待つとかでほとんどトンボ帰りになりそうですが、それでも行っておきたい、自分の目で見ておきたい。

バスがひとつ川を渡ったあたりから、景色が次第に変わりはじめました。電柱の列がところどころゆがんでいたり、田んぼの真ん中に……もちろん稲は植わっていません……松の木が横たわっていたり、窓の外にちらりと見えた東名駅はホームだけで線路も架線もなかった。
岬を回ると、津波に直撃された野蒜地区。まさしく波にかじられたように、1階部分がぽっかりと口を開けた家が並んでいる。や、うっかり海側に座ってしまったもんだから、しかも隣にどうにもこうにもチャラいギャルが座ってたりするもんだから、めちゃくちゃになった野蒜駅もちらりと見ただけですが、これはたしかに復旧のめどが立たないなあと思いました。

矢本あたりまで来ると街並みはだいぶ落ち着いてきて、東矢本で隣のケバいギャルが降りていきました。あの人も被災者なんだよなと思うと、なんか複雑な気分です。

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 [天|人]災の光景 1日目
 2011/06/22 21:19
塩見真一
ちょろちょろと予告していましたが、先週末に1日足して、宮城県と福島県へ行ってきました。ウチの娘たちが義援金を被災地に届けるというのでついて行ったという、あんまり胸を張れた話ではないのですが、まあそれは単にきっかけで、半分以上は自分なりに行動したからいいんじゃないかと……て、いったい誰に言い訳してるんかな。

1日目、土曜日は雨の中18時に新宿駅西口に集合、バスに乗り、歌の練習などしながら東北道をひた走り、23時に仙台へ着いて食事をしてホテルに入ったら日付が変わっているという強行軍。福島あたりで泊まればもうちょっとまっとうな日程になるのですが、そこはそれ、親御さんたちはやっぱり放射線量が高いのを気にするでしょうからね。もっとも、私が持ってきた線量計では、福島の北西、国見SAあたりで0.326μsv/hまで上がっただけでした。この線量計、新宿では0.145〜0.172と、公表されている値の2倍程度を示していて、それほど信用するわけにはいかない感じなのですが、まあ校正もしてないししょうがない、郡山あたりからだんだん上がりはじめ白石あたりからだんだん下がっていって、精度はともかく傾向としては信用してよさそうです。

翌朝はわりあいのんびりとホテルを出て、まず啓佑学園へ、お昼をはさんで小百合園へ。それぞれ先生に義援金を、子供たちにはCDやTシャツやおもちゃをプレゼントし、少しいっしょに遊んでバイバイしたところで予定を1時間ほどオーバーして、最後に行く予定だった宮城JDF支援センターへ行くか電話口でお詫びしてそのまま帰るか、と揉めているのを横目で見ながら私はバスから降ろしてもらいました。

啓佑学園というのは知的障害を持つ子供たちの施設です。偏見は持たないつもりだけど、それでも知的障害者とは普通のコミュニケーションが成り立たない・成り立ちにくいわけでね、見てるだけの立場でもいろいろと考えさせられます。標題に沿って言うなら、この子たちがこうなったのは天災なのか人災なのか、ということ……どっちでも関係ないんだろうな。
一方の小百合園は、ある修道会がやっている養護施設です。子供たちは普通、というか健常者ですが、とはいえそれぞれ事情があってここで暮らしているはずで、それは十分に重たい事情のはずで、この子たちがここでこうして暮らしているのはたぶん人災なんだけど、いずれにせよ私には黙って見ていることしかできません。

さて、仙台の街並みは、見たところまったく平和でした。修復工事中らしく、ビニールシートのかかった建物もちらほらとはありましたが、ウチの事務所のビルだってつい先々週まで工事してましたし、一介の旅行者としてはなんら不自由なく、「がんばろう東北」ポスターなどがかろうじて災害の痕跡のような、そんな感じでした。

……ということで、日付の区切りはちょっとおかしいけど、私としてはここまでが1日目です。

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 『光の海』
 2011/06/18 09:36
塩見真一
小玉ユキ 小学館 ISBN978-4-09-130840-5 2007年2月20日−2008年2月20日第2刷 定価:[本体400円]+税

僧侶は特別な人間でないといけないかどうか、という話でこいつを思い出して、ウチのマンガ山から発掘してきました。小玉ユキさんは、『坂道のアポロン』がよく知られていると思いますが、この『光の海』が最初の単行本です。んー、実を言うと私は一度読んで処分してしまって、そのあと『羽衣ミシン』が良かったので買い直した、だから2刷なんですがね。

さて中身は「人魚」を軸にしたオムニバス5話。そのうち巻頭の表題作「光の海」の主人公が秀胤というまだ若い坊さんなのですが、こいつ、ひととおりの修行は終えているはずなのに胸の内にはどろどろと負の感情が暗く渦を巻いている。「そういうことの手当てに関してはプロやから」とか人魚に言ったくせに、自分自身の感情を昇華させることができず、とうとうあるとき(ストーリーをすっ飛ばしてるのであるときとしか言えないんですが)法事に行って読経だけはどうにか済ませたものの、法話ができなくなってしまいます。
ここでごまかしたりしないのはまあ立派かな、「ごめんなさい。ここでさせて頂くお話を、昨日から必死で考えよったのですけど…、なんか、うまいこと言葉が見つからへんのです。どうしていいかわからへんのです」と、檀家さんたちに頭を下げる秀胤。その頭をその家の子供が、3歳くらいかな、手を伸ばしてよしよしと撫でるのです。
や、表紙よりこのシーンを見せたいですが、つまり、これで秀胤は悟りを開くのですな。

と、どうまとめたらいいかわからなくなってきたんですが、つまり私の僧侶観にはこういうものも影響してる、ということで。

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 Re: 『坊主DAYS2 お寺とみんなの毎日』
 2011/06/17 10:50
麗明舎
実は買って読んだんですよ。

まあ、スタイリッシュであることにこだわる禅宗坊主らしい話かな、と。

全体に、綺麗に描きすぎでね?と思いました。

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 Re: 『坊主DAYS2 お寺とみんなの毎日』
 2011/06/17 09:47
塩見真一
お兄さんの大学の同級生で某寺の副住職をしている覚さんが、あるとき通夜で、子供の頃から何くれとなく世話になった人の通夜で、読経しながらボタ泣きしてしまったというエピソードが描かれています。

これ、覚さんは失敗談として語っていて、お兄さんもそりゃあダメだろおまえという反応なんですが、担当編集者が「そんなにダメなことですか」と尋ねるんですね。や、私もそう思った、坊さんだって人間、そういう間柄だったら涙をこぼすくらいのことはあっても、まあ、いい、誉めた話ではないかもしれないが、後で住職に怒られなきゃいけない話かなあ、と思います。
覚さんとお兄さんの説明によると、僧侶は遺族の想いを受け止める立場だから、頼りない振る舞いをしてはいけない、医者が病気であってはいけないのと同じだ、と、いうことなんですがね。

私の経験から言うと……まあとりあえず本を作ったりソフトを作ったりしてきましたから……、物を作る人は作る能力を持った特別な人でないといけなくて、しかし同時に使う人と同じ考えかたができないといけない。
僧侶もまた、修行して悟りを開いた特別な人であると同時に、普通の人と同じく悩んだり恋いこがれたり悲しんだり嫉妬したりすることもしないといけない、……のではないかと、私は思うんですよね。

修行に集中するために僧侶は配偶者を持ってはいけないことになった、しかし一方、衆生の悩みに共感できるように僧侶も妻帯することになった、……いやまあ、理屈こねてみただけですけど、そういうことならありそうかなあ、と。

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 「暮らしを支える無機材料」
 2011/06/14 21:17
塩見真一
……という面接授業を受けてきたのでそのまとめ。

無機材料というのはつまるところ、ガラス・陶磁器・セメント、それと半導体。3日6回の講義でこれらを解説し、あと1日2回分はガラス工房で実習という時間割で、左の写真がその実習で私がガラスを吹いて作ったコップです。いや私が作ったというか、工房の助手の方が付きっきりで、私としてはなんかあれよあれよという間にできてしまった感じでもありますね。

うーむ、実をいうと講義のほうもあれよあれよという感じでした。例のなんとかなったシステムをまだなんとかしていた時期だったりもしますけど、どうも身が入らなくて、なんか勉強した気がしないなあと思いながら帰ってきたものでした。なんでかなあ。

ああそうだ、ひとつ、自分が「芸術」どころか「工芸」にも興味を持っていないことがわかりました。各回の最初にあちこちの美術館で開催中の陶芸展とか紹介されても、先生はツカミのつもりなんだと思うんだけど、なになに焼とか言われてもまるでわからないし、ぜんぜん面白くなかったんですね。
工芸は実用性を考慮した「用の美」という世界で、芸術と似ているが芸術ではないことをずっとやってきた私には馴染みやすいはずだと思っていたんだけど、そんなことはなかった。
映画の看板は芸術ではなく、そして工芸でもない、のかもしれません。

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 Re: 「日本列島周辺深海八景」
 2011/06/14 08:31
塩見真一
いかん、ここで終わると単に私がしょーもない質問をしたという、それだけの話になってしまう、先生のお答えを紹介しとかないと。

「まったくしょーもない質問ですねえ。……まああれです、高速道路で渋滞にはまったときと一緒ですよ。」
なるほど。

「もっとも、研究者はもう夢中ですから、トイレどころじゃありませんけどね。」
おおうなるほど。

「他に、もっとしょーもない質問はありませんか。」
はう(^-^;)

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 「日本列島周辺深海八景」
 2011/06/13 09:37
塩見真一
……という面接授業を受けてきたのでそのまとめ。いや実のところ時期的には発電所見学より前だったんですが、レポート提出の課題があって、それがやっと終わったので。

授業の中身はと言うと、深海調査船で世界各地(各海と言うほうが正しいですが)1000回におよぶ潜航調査に参加してきた先生が、あちこちの海底の名所・見所を紹介しつつ海洋底から見る地球科学を解説する、というものです。日本周辺といってもハワイやパラオまで含まれているんですが、まあ地球規模の話ですし。
海溝・海嶺・海山・海丘とか海底谷とか地塁とかいった海底地形の話が中心ですが、シロウリガイとかコシオリエビとか、光の届かない深海で地中から湧き出すメタンや硫化水素やたまたま沈んできたクジラの骨をエネルギー源としている化学合成生物群集の話、湧き出してきた硫化水素などが作る鉱床の話、奥尻島やインドネシアの地震後に見た海底の様子や、東北日本大地震のまとめもありました。

面白かったかと言うと、そりゃ面白かったよな。深海へ行く機会というのはまずめったにないわけで、たしかに人類に残されたフロンティアであるわけです。宇宙へ行くのに比べると耐G訓練など要らないので楽だそうですけどね。
また一方、深海は海洋プレートが大陸プレートに沈み込むところなので、深海探査は地球の中を知ることにつながっている。てゆうか現実問題として、地震の大半は海洋プレートが大陸プレートに沈み込むことが原因で起こっているわけですからね。東から太平洋プレートが沈み込み南からフィリピン海プレートが沈み込むこの日本列島で地震が多いのは理の当然。日本人はもっと地学に関心を持っていていいはずだし地学教育を重視していていいはずだと、先生が最初におっしゃいましたが、たしかにそうだよなあと、地学をやり損ねた私は思ったのでした。

ちなみに、2日目の冒頭、昨日の授業について何か質問はありますかと言われて私がした質問。
「1回の潜航調査は8時間ということですが、その間トイレはどうしているのでしょうか。」

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 Re: 『坊主DAYS2 お寺とみんなの毎日』
 2011/06/13 09:07
塩見真一
一昨日仕事を早めに切り上げて、某ライブハウスの近くのファミレスで食事してたら、隣の席のおばさんの読んでいる本が目に入ったのですが、『さとりを開くと人生はシンプルで楽になる』というのでした。
いやまあ、そりゃそうなんだけども、ねえ。

そもそも仏教の根源は「生きる悩み」を解消しようとすることであって、その限りでは僧侶に配偶者がいようがいるまいが関係ない、あくまで本人の問題。……とは思いますが、だいたいゴータマ・シッダルダだって家と奥さんを捨ててるわけだし、僧侶の妻帯が禁止されるようになったのは、まあわかるんですがね。
それが逆に、明治ごろになって認められるようになったのはどういう流れなのか、少々興味がわかないでもありません。

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 Re: 『坊主DAYS2 お寺とみんなの毎日』
 2011/06/11 23:41
みちる
そういえば父が亡くなったとき今のお寺さんに押しかけ檀家になったのですが(苦笑)
母は違う宗派で育っていたので住職の奥様に「なんと及びすればいいですか?」と聞いていました。
…答えは私は覚えてないのですが(;´∀`)


ってか「娘を幼稚園(お寺付属)にいれた時からそちらにお世話になるつもりでした」ってどんな押しかけやねん

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 Re: 『坊主DAYS2 お寺とみんなの毎日』
 2011/06/11 14:37
麗明舎
へぇ。「孔明のヨメ」を描いてる人ですね。こんなのも描いてたのか。

「寺庭さん」とか「お庫裡さん」とか、要するに寺の住職に配偶者がいるなんて事態が歴史的にみて異常なのと、それをなんとなく隠そうとする気分があるから、こういうこなれない日本語とも言えない言葉が出てきたんでしょうね。

大黒さん、とか納所とか、真宗では坊守さんとか、まあ、いろいろな呼び方がありますが、別に奥さんとか嫁さんでいいんでないでしょうか、あほくさい。

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 Re: やっぱりAdobeの陰謀じゃないのか
 2011/06/11 13:15
塩見真一
その後いろいろ試してみると、この無言ダイアログは出たり出なかったりしますね。他のサイトのPDFファイル(JR東日本の仙石線代行バス時刻表とか)でも出ることがあるし、もう一度試してみると何事もなくPDFファイルが開けることもある。
こう、問題が起こったり起こらなかったりするというのはきっと同期関係の処理に間違いがあるんでしょう。……たぶんメモリ同期だな。呼び出し側のプログラムがメモリのどこかにエラーメッセージを置いてダイアログを出せと言う、言われたほうはそのメモリへメッセージを取りに行く、なんらかの事情で取りに行くほうが置きに行くほうを追い越してしまったら空メッセージを表示する結果になる……。この推測があたっていたら典型的な間違いですが、典型的なだけに恥ずかしい話でしょうな。

ま、恥ずかしく思うかどうかはAdobe社の問題なのでおいとくとして。
計画的避難区域について調べようとしたのは、つまり近々そのあたりへ行くつもりだからですが、調べてみるとちょっと困った、計画的避難区域内へ行っていいのかどうかはっきりしないのですわ。

ご承知とは思いますが、福島第一原発の周辺には4つの区域が設定されています。
まずひとつは原発まで20km以内の「避難区域」および「警戒区域」、もうひとつは20km以上離れているが汚染の程度が高い「計画的避難区域」、最後のひとつは20km以上で汚染の心配はないがもしまた事故が起こったら危険な「緊急時避難準備区域」です。
各区域からの立ち退き・各区域への立ち入りについて、4月22日付の公示によると……
「〈避難区域〉(途中省略)居住者等は、避難のための立退きを行うこと。」
「〈警戒区域〉(途中省略)緊急事態応急対策に従事する者以外の者は、市町村長が一時的な立入りを認める場合を除き、当該区域への立入りを禁止され、又は当該区域からの退去を命ぜられること。」
「〈計画的避難区域〉(途中省略)居住者等は、原則としておおむね1月程度の間に順次当該区域外へ避難のための立退きを行うこと。」
「〈緊急時避難準備区域〉(途中省略)居住者等は、常に緊急時に避難のための立退き又は屋内への退避が可能な準備を行うこと。(途中省略)勤務等のやむを得ない用務等を果たすために当該区域内に入ることは妨げられないが、その場合においても常に避難のための立退き又は屋内への退避を自力で行えるようにしておくこと。」
……ということになっています。

避難区域と警戒区域は同じ範囲で、立ち入ってはいけないことははっきりしています。
しかし、計画的避難区域に外部の人間が立ち入っていいかどうかは記載がありません。
また一方、緊急時避難準備区域について見ると「勤務等のやむを得ない用務等を果たすために当該区域内に入ることは妨げられない」、要するに「無用の者は入るな」ということで、私が緊急時避難準備区域に入ってよいかというとグレーゾーンながらかなりアウトに近いと考えざるを得ません。
とすると、より危険性の高い計画的避難区域についてはもっとアウトに近いはずで、それが何も書かれていないのはどう考えたらいいのですかねえ。

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 『坊主DAYS2 お寺とみんなの毎日』
 2011/06/10 20:45
塩見真一
杜康潤 新書館 ISBN978-4-403-67106-7 2011年6月11日 定価:(本体740円)+税

仏式結婚式について常識のないところを見せてしまったので少し勉強しておこうと思って……というのは方便でありますが、臨済宗のお寺に生まれ育った著者が描く「お寺とみんなの毎日」。前作『坊主DAYS』は住職になるため僧堂で修行するお兄さんが中心でしたが、こんどは「みんな」で、お寺の家族・お寺の子供の日常や人生が中心です。著者や兄の子供時代、住職だった父が早逝し弱冠14歳で寺を継ぐ決心をした兄、父の津葬、その兄の大学時代・仏教系大学の同級生たち、裏方として寺を支えてきた祖母・母・義姉、兄が住職になるときの晋山式、それまで住職不在の寺を見守ってくれた檀家さんたち。

実を言うと、このあいだ鳥取へ行ったとき叔母さんのところに泊めてもらうつもりだったと言いましたが、そこはお寺さんでした。つまり、叔母さんは「寺庭さん」だったのですね。それとも「お庫裡さん」だったかな、子供の頃にも一度泊めてもらったはずだけど叔母さんがなんと呼ばれていたか記憶がない。駅から10分程度のその寺へ散歩がてら行ってみたけど、その場所も記憶になかった。
……じゃない、記憶の問題ではなくて、そういう呼びかたがあること自体、私はこの本で初めて知ったんですね。つまり考えてみると、お寺というものが私の生活の一部に存在していたことが、子供の頃から今に至るまで無いんですわ。両親が上京してきて私が育ったところはニュータウン、お寺がなかったわけじゃないけど檀家ではなかったし、そもそも家に仏壇がなかった。

結局のところこの本で描かれている「お寺とみんな」という関係、寺を中心にして作られるコミュニティの姿、私は読んでなるほどとは思うのだけど、頭では理解できるのだけれど、感覚としてはふうんそういう世界もあるのだなという感じ、実感にはつながらないのです。

いや、こういう人は今の時代けして珍しくないだろうと思うんだけど、不幸、なんですかねえ。

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 やっぱりAdobeの陰謀じゃないのか
 2011/06/09 21:15
塩見真一
……と、左のようなダイアログを見たら言いたくなりますよね。
いったいなんだっちゅうねん。

このダイアログは事務所のPC、例のCドライブが妙なことになったPCで、首相官邸ホームページに載っている計画的避難区域の詳細を見ようとしたら出てきたものです。このPCにはAdobe Creative Suiteが入れてあるのでPDFを開こうとするとReaderではなくAcrobatが立ち上がるのですが、いやAcrobatだろうとなんだろうと、はてなマークだけで無言のダイアログ、これは誰が見たってダメなソフトでしょうや。

Acrobatがダメなのはちょっと置いとくとして、なぜこの情報がPDFなのか、ですよ。
この情報は、ダメなソフトのせいで伝えられなくてもまあいいやという性質のものじゃないはずです。それに、もっと確実に伝えられるデータ形式だって選択できるはずです。それなのにPDF形式にしているのはいったいどういう合理性があるのか、Adobeの陰謀じゃないのか。ひとつ国会で問い質してもいい問題だろうと私は思いますが。

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 Re: デスクトップPC作り替え
 2011/06/04 08:49
塩見真一
ひーなんとかなった。朝早出したり深夜勤務したりしたけどとにかく金曜日にまとまった形で納品することができました。いや納品したらしたでまたあれこれ修正・追加要求が出てきて今日も休めないのですが、それはそれ、頂上だと思ったらもうひとつ先だったというやつだし。

さて、修復して動き出したWindowsは、忙しいので忘れていましたが、根本的には解決していません。まだ私が気の付かないところでデータが壊れているかもしれないし、未割当にした領域がいつまたCドライブに化け上がってこないとも言えない。

てゆうか、もともと未割当だったはずの領域がなぜパーティションに化けたのか、それもDドライブに化けるならまだしもなぜ既存のパーティションを押しのけてCドライブに化けたのか、と、いうことが問題ですね。
まあ、そのへんは考えてもしょうがない。偶発的なバグだとしか言えないし、バグだということで済ませても、fpcbook的には差し支えないと思います。

fpcbook的にいうと、このパーティションを操作する機能がなぜ「今すぐインストール」のほうにあって「コンピューターを修復する」のほうにないのか、ということのほうが問題ですね。
や、「今すぐインストール」のほうにあることは間違ってないな、新しいHDDにインストールする場合とか考えたら必要ですもんね。だから問題は、「コンピューターを修復する」のほうに無いこと、修復対象がパーティションであるようなケースが想定されていないこと、ですね。
まあ実のところ「コンピューターを修復する」のほうでも、コマンドプロンプトでdiskpartコマンドを使ってパーティションを操作することができないわけではありません。けどそれは機能が用意されているとは言えないでしょ。実際私はdiskpartコマンドで修復しようとしてあれこれ試してみて、こんなことしてる暇はないと思って再インストールの覚悟を決めたんですがね。それがあんなにあっさり解決して、あの覚悟はどうなったんだという話になるじゃありませんか。

ま、そう言ったところで、「仕様です」で終わりになりそうですが。

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 Re: デスクトップPC作り替え
 2011/05/30 22:59
塩見真一
解決。
案ずるよりと言うべきかどうか、インストールし直すことなく拍子抜けするほどあっさり解決しました。
とにかくWindowsとOfficeだけインストールし直そうと覚悟を決めて「今すぐインストール」を選択したら、インストール先を選ぶ画面にパーティションを削除するオプションがあったのですね。それで、いつのまにか現れてC:顔しているパーティションを「未割当領域」に戻して、そこでインストールを中断してリスタートしたら、何事もなかったようにWindowsが動き出しました。
こわごわ使ってみてるけど、データもOfficeも他のアプリケーションも問題なさそうです。

ほんまかいな。

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